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カイザキ

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去りゆく一切は
いちいちヘコんでたら、いちにちヘコんでなきゃいけないだろ
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ところで電通のこと(4)
(3)のつづき
 
 大戦間近の情報統制によって電通の通信部門が頓挫したことは以前に触れたが、昭和16年、日本が開戦に踏み切ると、程なくして広告部門も窮地に立たされることになった。物資不足と情報統制で新聞・雑誌のページ数が減ったのである。例えばそれは、「昭和十二年には、朝夕刊十六ページを発行していた新聞が、十六年十月にはわずか六ページとなり、十九年には二ページとなってしまっている」(田原総一郎『電通』)といった具合で、当然それにあわせて広告スペースも激減した。
 
 広告代理店はわずかに残された広告欄を奪い合い、完全な飽和状態に陥っていたのである。
 
 そんな折、広告界は2つの改革によって転換期を迎える。1つは「広告料金の準公定価格導入」であり、もう1つは「広告代理店の統廃合」である。
 
 広告料金に規定価格を設けることによって、従来のどんぶり勘定や、「飲ませる、抱かせる、つかませる」といった“たかり”体質から脱却し、取引きの健全化を図る。そして全国に186社あった広告代理店を12社に統合し、広告業界をスリム化する、というのがこの改革の要旨だが、実はこのとき商工省の裏で手配りをしていたのが吉田秀雄だったというのである。田原総一郎の『電通』を読んだ限り、吉田がどこまで商工省に食い入っていたのかはっきりしないが、ともかくこの時期、吉田が、電通と広告業界が沈没しないよう、あちこち奔走していたことは確かなようだ。
 
 こうして長く苦しい戦争が終わり、時勢はラジオ・テレビ時代に突入する。電通、飛躍のときである。
 
つづく。
 
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