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カイザキ

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去りゆく一切は
いちいちヘコんでたら、いちにちヘコんでなきゃいけないだろ
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ところで電通のこと(5)
(4)のつづき
 
 昭和20年(1945年)、政府は「日本放送協会(現NHK)のほかに、新放送会社の設立を認可する」と発表した。お国の放送機関が電波を独占するのはよろしくないということで、要は、日本の旧体制を解体しこの国を民主国家にせんとするGHQの意向によるものだ。
 
 しかし、民間のラジオ局を開局するにあたってそのビジネスモデルが問題となった。聴取者からは料金を取らず、すべて広告だけで運営する(要するに現在の“民放”)というものだが、当時はこれが理解されていなかった。いや、正確には、理屈としては理解できるが本当に実現できるか皆、半信半疑だった、というのが実情だろう。
 
 そこで、白羽の矢が立ったというべきか、自ら名乗り出たというべきか、この舞台に颯爽と現れたのが例の吉田秀雄で、吉田は6年を費やし民放ラジオの立ち上げに成功する。昭和26年(1951年)、ラジオ東京や文化放送など16社の民放ラジオに放送の予備免許が与えられた。初期の放送で電通は広告主の斡旋やCM作成だけでなく、番組の企画や収録まで手伝っていたそうで、ある営業企画局次長は当時をこう振り返っている。
 
「番組を企画するばかりか作ることも、民放の発足当時は電通がやったんです。それを裏付けているのが、最初に開局した中部日本放送の記念番組で、私たちが作った番組がかなりの数を占めていたことです。 (中略) 番組を作るということ自体、広告業の本来の機能ではなかったのに、当時はそれをやっていたんです。」(塩沢茂『電通のイベント戦略』)
 
 つまり、電通は日本における民放の“雛型”をつくった会社ともいえるわけで、このことは、電通と放送局の繋がりを考える上で、知っておいて損することはないと思う。電通が日本の既存メディアに対し、絶対的な“力”を持っているといわれる所以の1つである。
 
つづく。
 
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